杓子blog

杓子による猫のための

日は落ちる、されど月が登る

2020年12月31日

発表の通り、彼らは去っていった。

 

2021年1月1日を自分はどう迎えているのだろうか、と

この2年間彼らを各所で見るたびに考えていた。

 

「早く来年になってほしい」「来年にならないでほしい」

こんなにも葛藤した気持ちを抱えて年越しすることは

今までに記憶がない。

どんな状況下でも彼らは私達とつながりを持つために

色んな場面で工夫して会いにきてくれていた。

 

晦日

可愛い可愛いあの子たちは、最後の力を振り絞って

全力でパフォーマンスしてくれた。

感情も出し切ってくれた。

嵐がみんなを、みんなが嵐を愛している。

それがライブという形で現れた。

際の際まで嵐を堪能できた。

 

 

嵐は太陽だ。

私の人生は時々強い日差しに照りつけられていた。

 

今、太陽が落ちた。消えた。

私は暗い中に取り残された。

また別の太陽を探さねばならない。

 

 

嵐は、月になった。

暗い足もとを優しく照らしてくれる。

そんなに明るくはないけれど

寄り添ってくれている。

 

嵐は戻ってくるのか、誰にもわからない。

目の前からいなくなったからといって応援をやめる、という選択肢は

絶対にないと思っている。

ジョン・レノンエルヴィス・プレスリー美空ひばりマイケル・ジャクソン

彼らが生きていないからって応援しないってことはないでしょう?

嵐は、みんなが忘れない限りずっと生き続ける存在なのである。

曲を聞かない日、テレビで観ない日が増えるかもしれないが

初めて観たときのこと、初めて覚えたときめきを

忘れないでおこうと思った。

 

5本の針と裏ボスMさん

健康診断で病院に行った私は

前夜から食事制限を指示されていたので

「検診後には何を食べようか」と検診を行う病院へ向かう電車内で

駅周辺の飲食店を探していた。

 

 

 

長丁場になるなんてこの時は知る由もない。

 

 

 

受付や着替え、身長体重測定、診察などをこなし

残るのはレントゲンと採血。

採血を先にやることになったので

台に右腕を乗せる。

 

用意された針がキラリ、私を睨む。

強がりの私だが、一応礼儀作法として針の行方は見ないようにした。

 

 

 

「んんんー針、入らないかも」

 

腕を擦る看護師がそういった。

 

私は血管がもともと細く、またここ最近の体重増加により

腕の血管が採血には不向きの状態に陥ってしまっていたのだ。

 

 

1人目同年代女性看護師S

「ごめんね・・・右じゃ出ないから左ね」

「ごめんね・・・左もだめだから他の人呼ぶね。もしかしたら手の甲になるかも」

 

 

手の甲で採血・・・?

同じく血管細い族の母親が致し方なく手の甲で採血したところ「すごい痛い」と

言っていたあの手の甲・・・?

 

(手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ手の甲は嫌だ・・・)

 

S「すみません、Iさん、採血お願いできますか?」

 

冷や汗をかいている間にSさんは別室にいた看護師を呼んでいた。

 

 

 

2人目40代女性看護師I

「ごめんね・・・右はやっぱりだめだわ」

「ごめんね・・・左もだめだわ」

彼女に関しては、針を血管らしきところに刺しそこから金脈を探しあてるかのように

針をぐりぐりと動かした。

でも不思議と痛くなかった。

看護師2人のプライドをズタボロにさせるような血管を持つ自分が憎くて憎くて

心のほうが痛かった。

 

                     

 

                     案外、何も思っていないかもしれない。

 

 

 

 

 

この女性看護師はおもむろに携帯電話を取り出し電話をし始めた。

自衛隊でも呼んだのか?

国防に関わることなのか?

と思っていると

3人目50代女性看護師Mが登場

 

 

 

「ごめんね・・・あ、深呼吸してー。ハイ、終わり」

 

 

 

・・・・・・えっ!?

いつの間にか金脈を当てられごっそり金塊を持ち帰られていた。

 

別に看護師の採血に対して文句を言うつもりはないが

Mさんに関しては、刺したあと深呼吸の指示があった。

私自身、採血が上手く進まないことに恥を感じてしまいそれが身体の緊張に繋がって

しまっていたようだ。

あの単純な深呼吸だけで終わったのですごく驚いた。

刺した針は5本、時間にして20分程度。

 

 

何も食べずに帰った。

求人情報と違う条件を言ってきた企業をチクってみた

 

 

「えー、弊社の待遇、条件ですが、賞与は2年後から支給、有給が1年後から取得可能となっております」

 

 

それまでに何社も面接を受けて落ちては繰り返し、精神的にも疲れ切っていた私は

ここに何も疑問を持つこともなく

「はぁ・・・」と意味を理解せず取り敢えず頷いていた。

 

翌日、面接の具合を聞いてきた上司にぽろっと話すと

「え、1年?それ、労働基準法違反してるで。やめときや」

 

 

社会人3年目、何社も面接しておきながら労働基準法について

心得ていない奴がここに。

 

 

数撃ちゃ当たるの戦法で応募しまくったため

特にこれといって志望動機もないまま書類選考が通り

また面接まで来てしまった。

 

上記の通り、法律に違反する労働基準だったため

転職サイトにチクってみることに。

 

「・・・という内容で応募したのですが、実際はこれがこうになると言われました。」

というお問い合わせに対し転職サイト側は

「弊社としても聞き捨てならない内容ですので直ちに調査を行います」

と返答がきた。

 

このあと予想された(というか期待もある)のは

転職サイト経由または当該の会社からの謝罪

だったのだが今の今まで何がどうなったのか知らされておりません。

オチがなくて申し訳ないですが、チクってもせいぜいこんなもんです。

大学生の娘が母親の借金を法テラスに相談しにいった話

おことわり

特定を避けるためにもフェイクがあったり

もう過ぎてしまったことなので記憶も曖昧です。

法律的なところなどで辻褄が合わないところもあるかもしれませんが

お許しください。

 

 

 

家に届く郵便物の中で何ヶ月かに数回、目につく封筒があった

 

封筒を開いて中の紙をみて見るとそこあったのは督促状だった。

20万円くらいの借金が私が生まれて10日あまりの時期に母名義で行われていた。

「何に使ったの?」と聞くも「知らない」と用途は不明

私自身が病気を持って生まれたのでもしかしたら治療費のために

私の父に黙って借りたのかもしれない。

だが母親はなんだかわからない男にお金を渡すという不可解なこともしているので

まともな使い方はしていないかと思う。

なんで病気レベルで金にズボラなんだろうか

 

 

時が経ち、20万円は100万円を超えていた

どういう利率だったのか全く覚えてもいないが、母親は生活保護を受けていたので

払えるわけもない。

 

「これ届いているけどどうするの?」

と聞いても

「放っておいて」

と言う母

 

どこから来る自信か知らないが、娘である私に母親の借金を肩代わりして

支払えと言われることはないだろうからと言って今回もやはり無視していた

20年放って置いた人に今更支払う考えなんて出るわけないだろうなと

今になって思う。

 

私は不安になったのでインターネットで

「親の借金 子に引き継がれる」

といったようなキーワードで調べていった

 

様々なページの内容を合わせると

「年数がある程度経過したのであれば時効ではあると考えられる。しかし場合によっては差し押さえになるかもしれない」という結果になった

当時生活保護を受けていた母親では、もうすぐで大学を卒業し社会に出る私がいるとなると私の財産を差し押さえてくるのではないかと考えてしまった

 

 

どうにかしてでも私が未来に受け取るであろう貴重な財産を守らなければ

と思い、もう少し解決策がないかと調べてみた

すると法テラスという存在を知ることになった

 

  • 法テラスで弁護士と出会う

事前予約(確か必須だったはず)をしてから法テラスにいったかと思う

法テラスには思った以上の人がおり、予約の必要性が理解できた

どういった内容で相談したいのか、を簡易的にフォーマットに書いて

提出

法テラスにいたスタッフの方はみんな親切だった

 

 

自分の順番がきた

半個室に通され弁護士と対面

届いている督促状とともに内容を伝える。

 

 

弁護士「確かに、財産を没収される可能性はあります。それは生活保護受給に関わらずです。」

弁護士「絶対に払わなくてもよい、という状況になるとは断言出来ませんがそれでもやってみますか?」

と言われた。

時効という判断になるのではないかなという勝手な希望があったので

受けてほしいですとお願いした。

ただ一番心配していたのは解決までに至る費用だったのだが

生活保護受給者だったため減額かまたは完全免除になるかもしれないとのことであった。

後日事務所でお会いしましょうとなり名刺をもらって一旦帰宅。

 

 

  • 弁護士事務所へ

法学部の学生でもないのに弁護士事務所へ出向くことになるとは。

整列した受付に一礼をされながら個室へ通される

法テラスで会った男性弁護士と再会

先日法テラスで話してくれた内容をもう一度噛み砕いて話してくれた

とりあえず時間がかかりそうだなという印象があった。

弁護士もやはり案件をたくさん抱えているみたいで

何度も部屋の出入りを繰り返していた。

 

 

弁護士事務所へはこのあと2,3回出向いたかと思う。

債務者である母親と弁護士が話をしないといけないとなった時にはすこし困った。

母親は車椅子でしか移動ができず、私が押して来るには非実現的な距離だった。

事情を察して、弁護士は電話でも良いと快諾してくれた。

それから事実確認と、実際に債権会社へ送る書面の確認、今後の費用に関してといった内容で会いに行った。

 

 

 

 法テラスに行ってから半年くらい経ってからこと。

弁護士から直接電話で

支払いはしなくてもよくなりました。

と連絡があった。

 

費用に関しては生活保護受給という事情もあり完全免除となった

本当にありがたい。こんなグズ(私の母親)でも味方してもらって。

後日、書面に最後のサインが必要ということで

弁護士事務所に再度出向き、お礼ですと言ってお菓子を置いて

決着がついた

 

 

以上が法テラスでの体験です。

お金がないけど片付けないといけない法律的な問題があるなら

一度相談してみてください。

早く動くことに価値があるのです。

派遣をバックレてみた その2と嫌ならやめればいいよってことを伝えたい

6月某日 バックレ当日

 

身体が夜更かし体質になってしまったので起きたのはちょっと遅めの9時ころ

度重なる着信音で起きるのは嫌だったので機内モードにしてから寝たのが功を奏した

派遣会社から何度も電話が入っていた

 

そこで事前作成していた三下り半を送信してみた

「ビギナーにはきつくね?

っつーか、騙したろ?

あと社員同士のいじめみたいなのを目撃したので精神衛生上良くない

だから契約通りじゃなくて申し訳ねえけど

やめます

さよなら」

 

とざっといえばこんな感じ

 

 

そのあと

申し訳ございませんでした、派遣先に伝えてきます

とメールがきた。

 

本来ならば正式な退職手続きが必須なのだが

文面から私の怒り具合が伝わったのでしょう

細かい手続きもなく、ロッカーの鍵返却のために1度だけ対面するだけだった

 

 

  • 自分を大切に、やめることは怖くない

 

仕事を辞めることって精神的にも肉体的にもしんどいことだと思う

怒られるかもしれない、自分の経歴に傷がつくかもしれない・・・

私が一番気にしていたのは「私専用のはんこを作ってもらったのにやめれないよなあ」

と思っていた。

意を決して辞めようと思ったときも今思い返しても考えるのが

「はんこごときでなぜここまで悩む必要がある?」

と。

これだけやってもらったのに、と恩を感じているだけで

あなたは偉いんです。

とにかく辞めたいと思ったら私物を会社に置いてでも

逃げてください。

 

 

会社とは違う方向の電車に乗って遠くに行きましょう。

 

 

 

 

 

 

 

輝けない金メダルをくれる先生

小学4年生の時、女性教師が担任になった

最初のホームルームで言われたのが

「発表を積極的にした人には金メダルをあげます。業者に頼んで作ってもらう金メダルです。」と言われた。

 

 

詳しい基準は忘れたが発表をするとシールが貰え年間を通して何枚以上集めると金メダルが貰えるというものだった。

 

今もその当時も無気力で人の前に出ることが苦手な私はそのシステムが嫌だった。

 

 

自分が金メダルとれないから僻んで今頃そんなこと言ってるんでしょ?と言われてしまえばそうかもしれない。

 

 

金メダルを餌に無理やり発表させたり、発表するような子にだけ依怙贔屓したり。

「ゴマをする」そんなことをするのが嫌だった。

だけど次第に同級生がシールを貰っている光景をみてこう思い出すのだ

「先生に喜んでもらいたい」

 

 

先生を嫌になったきっかけはいくつかあるが

決定打はこれかなと言うのがいくつかある

 

私があんまりにも発表しないから

担任が父親に電話をしてその事実を伝えたのだ

家に帰ってきた父親は当然私に対して

発表をなぜしないのだと怒ってきた

すごく恥ずかしかった

 

それから

先生に誕生日プレゼントをあげたときだと思う

何故か分からないが先生に誕生日プレゼントをあげるということが女子の間で暗黙の了解で決められていた。

小学生が担任の先生のためにお小遣いを崩してプレゼントを買ってあげるなんて馬鹿なことしたなと思ってる

 

文房具をいくつかあげたのだがメモ帳をパラパラとめくり「みて、マジシャンみたい」と先生がいった

顔は喜んでなかった

喜ぶ顔のために買ったのに。

 

 

 

 

引っ込み思案で発表なんかできるわけない私は

1年が終わると圧倒的にシールが少なかったのを覚えている

でも仲のいい子も同じくらいだったので

同レベだと安心していた

 

金メダルを貰った子は3分の1強

成績のいい子、ゴマすりの上手い子

先生の前だけいい顔をする子。

 

 

今思えばすごく後味悪い先生だった

 

 

 

 

 

 

 

 

せんばばの話

小学生時代、誰もが変な人物の噂や都市伝説について知ることがあったと思う。

私の小学生の時だと「せんばば」と呼ばれる人物がいた。

 

歳は6、70歳代の女性

痩せこけていて常に白髪の頭は爆発していた

肌が真っ黒で、真っ黒というのは色素というよりお風呂に入れていないことが原因であろう黒さがあった。

嫌な臭いもあるらしい。

 

 

彼女を目撃した人の多くは

「あいつ、〇〇公園で洗濯してたぞ」

と洗濯している情報が多かった。

だから洗濯+ばばあでせんばばと呼ばれるようになった。

私が小学校入学する前から存在していたとは思う。

 

 

草木が生い茂るところに、のそのそと入っていくせんばばを見かけたことがあった。

友達はせんばばが、用を足しているところをみたらしい。絵に描いて説明してくれた。

 

 

 

ある日の朝

学校の下駄箱があるあたりで人だかりができており近づくと、せんばばが学校の水道で洗濯をしていた。

それを止めようとする校長先生。

今考えてもすごい絵面だ。

 

せんばばは洗濯を止めさせられることに怒っていた。なにか叫んでいたが口周りにシワができるほど歯が少なかったこともあり、また恐怖もあって何を言っていたのかは全く聞き取れなかった。

そのあとどうなったかは知らないが帰る時にはいつもの水道があった。

 

これが低学年の時の話

 

 

時が経ち私は高学年に。

せんばばの目撃情報も減り、話題として上がることもなくなったある日

先生が「せんばばっていたでしょ?」と授業の時に話し出した。

 

 

 

せんばばが亡くなったこと。

潰れた自動車整備工場に住んでいたらしくそこでひっそりと亡くなってたのが見つかった。

と教えてくれた。

 

当時週3回通っていたそろばん教室から50mくらい先にあった場所だった。

そう遠くないところで彼女は最期を迎えたのだ。

 

終わり