観客を掌の中に
ポルノグラフィティのファンになって10何年…参戦回数は10回超えてから数えるのをやめたくらい行った。
とにかくとにかく素敵な男たちなのですが先日デビュー20周年を迎えました。
記念ライブが行われる東京ドームで2日間参戦できた
初日はアリーナ、最終日はスタンド席
たまたまこういう席順になったんだけど
2つの視点でライブをみることができたの。
初日は東京ドームという広い空間だったがステージとの近さゆえ、「ポルノグラフィティと私」「バンド対私」という時間が作られていた。
ポルノグラフィティっていうバンドであることはもちろんなんだけど、1人っていう単位でもいいんじゃないかというくらい。化け物でもいいか。
1化け物=ポルノグラフィティ
最終日は全体が見渡せたので「ポルノグラフィティと5万5000人」
みんなステージに向かって、手を振る、叫ぶ、跳ねる
それに応えるように、ステージでも手を振る、叫ぶ、跳ねる
これほどの人が、ここに来れなかった人も含めてとんでもない数の人たちがポルノグラフィティを愛している様子がよくわかった。色んな感情が飛び交っていた。
二人とも、何度も何度も手を止めて見渡してた。
どんな気持ちなんだろう。
- 「あのロッカーまだ闘ってっかなー?」
ロッカーを、服とかを入れるロッカーだと勘違いしていた頃から
プッシュプレイを聴いていたが
闘っていたよ。
ポルノグラフィティの技量という武器
サポートメンバーという武器
ファンという武器
いろんなものを引っ提げて、東京ドームに彼らは立っていた。
大きな舞台に立てるアーティストは最初は誰しも1人、個人という状態から
初めているわけでここまでくるのにすごくすごく苦労をする
彼らも同じなんだけど、そんな素振りを見せない。
鬱期だったとか不良債権だったとか、そんな言葉が彼らから出てきたけど
それをこんな大舞台で言えるようになるなんて。
- 「一つ何か信じてください。」
目の前で実証されたからには非常に重みのある言葉。
支えていたのはファンだけじゃない
サプライズゲストで来てくださった本間昭光さんとNAOTOさん。
彼らはあくまでも支えていた人代表として登場しただけ!?
2人しかいないんじゃないんだぞ!
身近に支えている人はもーっともっといっぱいいるからね。
本間さんが出てきたときは金切り声あげたし
遠目に金髪がみえて理解できた瞬間に
「NAOTO!」って金切り声あげたし
愛が呼ぶほうへでは、泣いてしまった。
’’僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど’’
の「僕」ってポルノグラフィティのことなんじゃないか?と気づいてからは
涙が止まらなかった。
いくらポルノグラフィティが好きでも、生活しているなかで一瞬ポルノグラフィティという存在を考えない時ってあるじゃないですか。
ご飯を咀嚼しているときにポルノグラフィティのこと思います?
トイレしてジャーって流すときにポルノグラフィティのこと考えたことあります?
ビンタされた瞬間に「あぁポルノグラフィティ・・・」って思わず言ってしまったこととかあります?
忘れるというかわざわざ考える必要のないくらい身についた、染みついた
存在なのだと思うのですよ。
喜怒哀楽を繰り返す人間生活。落ち込んでしまうとなかなか顔をあげることができなくなってしまうこともあるでしょう。だけど僕たちはいつも傍にいるよ、思い出してってあの曲が、教えてくれたような気がして。それに気づいてとんでもなく泣いた。
ただのド変態恋愛ソングだと思っていた私が憎いよ。
ドドドド変態共依存恋愛ソングだ。
去年、Queenの「ボヘミアンラプソディ」という映画が公開された。
話題になってこともあって私は特にフレディマーキュリーについて調べていた。
フレディ・マーキュリーは「彼は間違いなく観客を手のひらの中につかんでしまうことができる人物だ」と言われているのだけど
見つけたよもう一つ。
それは